2023年2月、俺はベルリンから電車に揺られること2時間、ドイツ・テューリンゲン州の小さな町「アポルダ」に向かった。
目的はひとつ。愛犬ベルの犬種、ドーベルマンが生まれた場所を、自分の目で見てくること。
閑静な町、ひっそり佇む銅像、そして一頭もいなかったドーベルマン
アポルダに着いて最初に感じたのは、「閑静な住宅街だな」ということだった。一軒一軒の家がやけにしっかり作られていて、正直「ここ、けっこう裕福な人たちが住んでる町なんじゃないか?」と思ったのを覚えている。観光地ではないからか、お店も観光客向けじゃなくて完全に地元の人向け。ベルリンと比べると、犬を連れて歩いている人の数自体が全然違った。少ない。
そして肝心のドーベルマンの記念モニュメント。町の小さな広場、古い教会のすぐそばに、ブロンズ像として建っていた。母犬が子犬に乳をやっている姿と、じゃれつくもう一匹の子犬。ドーベルマンの「誕生の地」であることを象徴するような、家族の一場面を切り取った群像で、思っていたよりずっと丁寧に作り込まれていたのが正直印象的だった。
ただ、一つだけ「うーん」と思う発見もあった。じゃれ合う親子犬の一匹、親犬の方の鼻先から口元にかけてがっつり赤いスプレーで塗られていたのだ。誰が何の意図でやったのかはわからないけど、由緒あるはずのモニュメントがまさかの「赤鼻」状態になっているのを見て、なんとも言えない気持ちになったのを覚えている。
極めつけは、アポルダの街を歩いている間、ドーベルマンに一頭も出会わなかったということ。発祥の地なのに、だ。
このとき現地で感じた違和感、「なんで発祥の地にドーベルマンがいないんだ?」っていうのが、実はちゃんと歴史的な理由があったので、今日はそれを世界の資料を漁って調べた内容と一緒に紹介したい。日本語の記事だとサラッと流されがちな部分も、包み隠さず書いていく。
そもそもドーベルマンはどうやって生まれたのか
ドーベルマンの生みの親は、カール・フリードリヒ・ルイス・ドーベルマン氏(1834-1894)。アポルダ生まれ、アポルダ没。

日本の紹介記事だと「税金徴収人」って肩書きだけが紹介されがちなんだけど、実はこの人、もっと多くの顔を持っていた。夜警もやっていたし、犬の捕獲人、そして化製場(死んだ動物を処理する施設)の管理人でもあった。
これ、結構重要なポイントだと思っていて。犬の捕獲人という立場だったから、彼は野良犬を合法的に捕まえる権利を持っていた。そこで気に入った獰猛そうな個体を選んで、自分の交配に使っていたらしい。つまり「厳選されたエリート犬種を集めて交配した」というより、「野良犬・処分対象の犬の中から使えそうなやつを拾い上げた」っていう、もっと泥臭い始まりだった可能性が高い。
税金徴収という仕事自体、当時は山賊が出るような危険な地域を回る仕事だったから、自分の身を守ってくれる強くて勇敢な犬が欲しかった、というのは俺が知っていた通り。ジャーマン・ピンシャーを主軸に、ロットワイラー、ワイマラナー、シェパードなどが交配に使われたと言われているけど、正直これは「言われている」レベルで、公式な記録は世界のどこを探しても残っていない。これは海外の資料でも共通して「謎」として扱われている部分だった。
アポルダの犬市と、彼を継いだ二人の男
俺が知っていた通り、アポルダの町では「Hundemarkt(犬市)」という犬の市場が開かれていた。ドーベルマン氏の死後5年、1899年8月の犬市のタイミングで、地元の酒場「Zum Bergschlösschen」にて「ナショナル・ドーベルマン・ピンシャー・クラブ」が設立されている。
そしてドーベルマン氏の死後、犬種を完成形に導いたのがオットー・ゲラーとフィリップ・グリューニングの二人。
ゲラーは同じアポルダ在住のリキュール製造業者で、初期の獰猛すぎる気性を抑えて、今のような制御可能な性格に固定した「設計者」的な人物。グリューニングは1939年に犬種の発展史をまとめた研究書を書いた人物として知られている。今のあの立ち耳、短い尾、スタイリッシュな体型は、この二人の手によって作り上げられたものだ。
ちなみに名前も変遷していて、当初は彼を称えて「Dobermann-pinscher」と命名されたんだけど、約50年後にドイツ国内で「pinscher(テリアの意)」が不適切だとして削除された。イギリスもこれに追随したんだけど、アメリカとカナダだけは今も「Doberman Pinscher」の名前を使い続けている。
世界大戦での活躍 ― そして日本ではあまり語られない話
ドーベルマンは第一次・第二次世界大戦でドイツ軍の軍用犬として使われた。ただしナチス・ドイツが「犬の主人種」として重視していたのはジャーマン・シェパードで、軍用犬の半数以上はシェパード、ドーベルマンは少数派だった。
一方で面白いのが、アメリカ海兵隊は太平洋戦線でドーベルマンを主力軍用犬として採用していたという話。1944年のグアム奪還作戦では「Devil Dogs(悪魔の犬)」と呼ばれる部隊がジャングル戦で活躍し、地雷や待ち伏せの探知、伝令、物資運搬なんかを担っていた。中でも「カート」という個体は、日本軍の待ち伏せを事前に察知して海兵隊員250人の命を救ったとされていて、グアムには今も戦死犬25頭とともに記念碑が建てられている。
ここからが、正直日本のドーベルマン紹介記事だとほぼ触れられていない部分。
ナチス親衛隊(SS)の強制収容所でも、ドーベルマンは警備犬として使われていた。
すべての強制収容所にSSの犬部隊が配置されていて、ジャーマン・シェパードと並んでドーベルマンが収容者への威嚇・追跡用に使われていた記録が、米国ホロコースト記念博物館やブーヘンヴァルト記念館などにはっきり残っている。SSの規定では、逃走を試みる収容者に対して「容赦なく」噛みつかせるよう定められていたそうだ。
これが、戦後の欧米で「ドーベルマン=凶暴で危険な犬」というイメージが定着してしまった一因になったとも言われている。正直、俺も今回いろいろ調べて初めて知った話だった。ベルを見てると信じられないくらい愛情深い犬種なのに、こういう歴史を背負わされているのは複雑な気持ちになる。
なぜ今、本場ドイツでドーベルマンを見かけなくなったのか
さて、ここでアポルダで感じた違和感の答え合わせ。
ドイツでは動物保護法によって、断耳が1987年、断尾が1998年に禁止されている。ドーベルマンといえばあの立ち耳と短い尾がトレードマークだけど、それを作るための処置自体が違法になった。
面白いのは、断耳・断尾済みの犬を「所有すること」自体は違法じゃないから、東欧などに一時的に連れて行って断耳させてからドイツに連れ戻す「ドッキング・ツーリズム」なんて抜け道も今なお問題になっているらしい。
そしてこの規制の結果、ドイツ国内でのドーベルマンの人気は大きく落ち込んだ。世界的には2013年時点で人気犬種ランキング26位、ドイツ国内での年間子犬登録数はなんとわずか535頭前後(全登録犬種のたった1%強)。
これでようやく腑に落ちた。俺がアポルダの町を歩いてドーベルマンに一頭も出会わなかったのは偶然じゃなくて、「発祥の地であるドイツ自体がドーベルマンから距離を置いてしまった」という、もっと大きな流れの中の一コマだったんだと思う。逆に言えば、あの母犬と子犬の像だけが、この町に今も変わらず残るドーベルマンへの敬意なのかもしれない。
こっちの動画では、ベルリンで見てきたドイツの犬事情についても触れているので、合わせて見てもらえると当時の空気感が伝わると思う。
最後に
正直、行く前は「発祥の地だから、きっとドーベルマンだらけの町なんだろうな」って勝手に期待していた。でも実際に自分の足で歩いてみたら、そこにあったのは静かな住宅街と、母犬と子犬たちを象ったブロンズ像だけ。
その「拍子抜け」の理由が、断耳禁止という動物福祉の流れであり、ナチス時代の負の歴史であり、そもそもの生みの親が野良犬の捕獲人だったという泥臭い始まりだったっていうのは、正直かなり面白い発見だった。
日本にいるとドーベルマンって「ちょっと怖い犬」ってイメージで見られがちだけど、その裏にはこれだけの歴史があるってことを、ベルと暮らしてる俺だからこそ、これからも発信していきたいと思う。
ちなみに、そんな歴史を背負ったドーベルマンと実際に暮らしているとどんな感じなのか気になった人は、うちの看板犬「ベル」の紹介ページ(kyokench.com)や、YouTubeチャンネル「狂犬の正体」もぜひ覗いてみてください。

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