俺、動画でベルのご飯のことを「エサ」って言うことが多い。そしたらたまにコメントで「ご飯でしょ!」って教えてくれる人がいる。
悪気があるわけじゃないのは分かってる。むしろ「ちゃんと大事にしてほしい」っていう優しさから来てる指摘だと思う。でも正直、俺は「エサ」でも「ご飯」でもどっちでもよくない?って思ってる派だ。
先日、この話をSNSに投稿してみたら、思った以上に反応があった。「ご飯」って呼ぶ人が圧倒的に多くて、しかもみんなちゃんと理由を持って言葉を選んでる。「犬とも感情の交流があるから、家族と同じ言葉を使いたい」「そう呼ぶことで、大事に扱おうって自分に言い聞かせてる」。逆に「呼び方より、ちゃんと世話できてるかの方が大事」っていう意見もあった。
で、ふと気になった。「犬を家族として扱おう」っていう考え方、日本だけの話なんだろうか。海外はどうなってるのか調べてみたら、正直ちょっと怖くなる話にたどり着いた。
アメリカ:犬を「家族」にした国で、実際に何が起きているか
アメリカでは「pet owner(飼い主)」っていう呼び方そのものをやめて「guardian(保護者)」と呼ぼう、という運動が実際にあった。単なる言葉遊びじゃなく、2000年にコロラド州ボルダー市が、条例の中の「pet owner」という表記を正式に「animal guardian」に書き換えている。「犬は人間の所有物じゃない、家族だ」という考え方から来た動きだ。
これを州全体の法律にしようという話が持ち上がった時、獣医師会が猛反対した。理由は「呼び方を変えると、獣医が動物に対して負う法律上の責任が重くなり、保険料や診療費が上がって、結局は飼い主の負担が増える」というものだった(アメリカ獣医師会(AVMA)の見解)。
そしてこの懸念は、決して大げさな話じゃなかったことが、その後の展開でわかってくる。
離婚裁判で「ペットの親権争い」が始まった
アメリカでは近年、離婚裁判所が犬や猫の「親権」を、まるで子どもの親権のように扱う州が増えている。2017年にアラスカ州が最初にこの制度を導入し、裁判官が「その動物にとって何が幸せか」を考慮して、共同養育を命じられるようになった。2018年にイリノイ州、2019年にはカリフォルニア州も同様の法律を可決している(動物法律擁護基金(ALDF)の記事)。
「犬は家族の一員だから」という気持ちは分かる。でも、これが法律として定着すると、離婚の場に弁護士が入り、裁判所が時間をかけて審理する「係争」になる。離婚自体がただでさえ大変なのに、そこに犬の親権争いという新しい戦場が増えたことになる。
獣医療費が高騰し、「お金がなくて犬を救えない人」が急増している
もっと深刻なのはここからだ。「犬は家族なんだから、人間と同じレベルの医療を受けさせたい」という考え方が広がった結果、アメリカの動物病院では、MRIや抗がん剤治療のような、以前は考えられなかった高度な医療が当たり前になってきている。
その結果、獣医療費は跳ね上がった。アメリカ人がペットの医療に使ったお金は、2019年の290億ドルから2023年には約380億ドルまで増加している。平均的な診療費は、2014年と比べて60%も上がっている(Canine Journalの調査記事)。
そしてこの値上がりについていけない飼い主が、確実に増えている。獣医療の世界では「economic euthanasia(経済的安楽死)」という言葉まで生まれた。治療すれば助かる命なのに、治療費が払えないという理由だけで、安楽死を選んだり、シェルターに手放したりせざるを得ない状況のことだ。ある動物保護施設の責任者によると、この経済的安楽死は年10〜12%のペースで増え続けているという。しかも、この現実がいちばん重くのしかかるのは、経済的に余裕のない飼い主たちだ(Moneywiseの記事)。
つまり、こういうことだ。「犬を家族として、人間と同じように大切にしよう」という空気が社会全体に広がった結果、医療のレベルは上がり続け、値段も上がり続けた。そして、その値段についていけない、本当は誰よりも犬を助けたい人たちから先に、犬を救えなくなっている。犬を大切にしようとした社会が、いちばん犬を大切にしたい人たちの首を絞めている。これがアメリカで実際に起きていることだ。
ドイツ:感情より先に、言葉が「制度」として整理されている国
一方でドイツは、また違うアプローチを取っている国だった。ドイツ語には犬の飼い主を指す言葉が2つある。「Tierbesitzer(所有者)」と「Tierhalter(飼育者・世話をする人)」だ(用語の違いについて)。Tierhalterは「責任を持って世話をしている人」というニュアンスが強く、ドイツの動物保護法(TierSchG)でも公式にこの言葉が使われている。
ゲッティンゲン大学の調査では、ドイツの飼い主の約49.5%が、犬を「人間より大事」だと回答している(ゲッティンゲン大学のペット飼育調査(2019))。アメリカと同じくらい、あるいはそれ以上に「犬は家族」だと思っている人が多い国だ。それでも、アメリカのような親権争いや経済的安楽死の急増が、同じレベルで社会問題化しているという話は見当たらなかった。
この違いがどこから来るのかは、正直はっきりとは分からない。ただ、ドイツでは「大事にする」という気持ちの部分を、最初から国全体の制度(法律・保険・医療体制)としてある程度整理してしまっているのに対して、アメリカでは「気持ち」が先に社会に広がり、法律や医療の側がそれに引きずられる形で後追いで変化している、という順番の違いはありそうだ。
結局、何が違うのか
日本は、まだ「言葉」の話にとどまっている。「エサ」と言われて傷つく人がいて、「ご飯」と言うことに違和感を持つ人がいる。個人の感覚のぶつかり合いだ。
アメリカは、「犬は家族」という気持ちが、法律・裁判・医療という社会の仕組みそのものを動かしてしまった。そして、その仕組みが変わった結果、皮肉にも「お金がない飼い主ほど犬を守れない」という、以前より厳しい現実が生まれている。
ドイツは、感情と制度がある程度セットで整理されているぶん、アメリカのような極端な反動が今のところ表面化していない。
それでもあなたは、犬を人間扱いして大切にする?
ここまで調べて、正直考え込んでしまった。「犬を家族として大切にしよう」という気持ちは、間違いなく優しさから来ている。でもその優しさが社会全体に広がりすぎると、医療費が上がり、争いが増え、結果的に一番弱い立場の飼い主と犬から順番に、その優しさの恩恵を受けられなくなっていく。大切にしようとした結果、大切にできる人が減る。そんな逆転現象が、実際にアメリカで起きている。
それでも、と俺は思う。ベルは俺にとって家族というより「一生大事にすると決めた生き物」という感覚に近い。呼び方は「エサ」のままでいいし、人間と同じ医療をどこまでも追いかけるつもりもない。でも、だからといって雑に扱っていいわけじゃない。ちゃんと栄養を考えて、ちゃんと病院に連れて行って、できる範囲で誠実に向き合う。それくらいの距離感が、俺にとってはちょうどいいと思っている。
「もっと人間扱いするべきだ」でも「ペットはペットだ、割り切れ」でもなく、その真ん中のどこに自分の線を引くか。今回海外を調べてみて、その線引きこそが一番大事なんだと、あらためて思った。
狂犬の正体 kyokench.comでは、こんな感じでベルとの日常やドーベルマンの話をこれからも書いていく。YouTubeチャンネル「狂犬の正体」もよかったら覗いてみてほしい。


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