SNSで「ペットショップで買うな、保護犬を迎えろ」っていう投稿をたまに見る。
命を売買することへの違和感、家族を待ってる保護犬がたくさんいるっていう事実、正直、その考えを否定するつもりは全くない。
実際にそうやって保護犬を迎えて、大事に育ててる人はたくさんいる。
こういう投稿の裏には、たいてい具体的な話がついてくる。
悪質なパピーミル(劣悪な繁殖業者)が、狭いケージで母犬を何年も産ませ続けてるとか、日本の殺処分の数字とか。
正直、そういう現実を知ってしまうと、何も言えなくなる部分はある。
ただ、俺は違う選び方をした。
ベルを迎えたのは、ドーベルマンっていう犬種のフォルムと歴史に、ただただ強い憧れがあったからだ。
ドーベルマンっていう犬種がこの世に存在しなかったら、たぶん俺は犬を飼っていない。
それくらいの一目惚れだった。
ベルを迎えた本当の理由
ドーベルマンを作ったのは、カール・フリードリヒ・ルイス・ドーベルマンっていう税金の集金人だった。
現金を持って一人で家々を回る仕事柄、自分の身を自分で守れる犬が欲しくて、複数の犬種を掛け合わせて作ったのが始まりだ。
目指したのは「見た目だけで相手をひるませる犬」。
ジャーマン・シェパードから警戒心と地頭の良さを、マンチェスター・テリアから反射神経の速さをもらってるらしい。
このピンと立った耳と、無駄な贅肉が一切ない筋肉のシルエット。
全部、「かっこよさ」のためじゃなく「弱点を減らして相手をひるませるため」に作られた形だったって知った時、余計に惚れ込んだ。
俺が欲しかったのはただの「かわいい犬」じゃなくて、この生い立ちごとの姿だった。
このへんの生まれの話は、実際に発祥の地・アポルダまで行って調べてきたことがあるので、興味あればそっちも読んでみてほしい。
→ ドーベルマン発祥の地・アポルダに行ってきた話
海外でも同じ議論がある
実はこの手の話、日本だけじゃなくて海外でも延々と続いてる。
英語圏では”Adopt Don’t Shop(買うな、迎えろ)”っていうスローガンが動物愛護の合言葉になっていて、日本以上に浸透してる感覚がある。
ただ、海外の犬種専門メディアでは、このスローガンへの反論も出てきている。
健康チェックや血統管理をちゃんとやってる「責任あるブリーダー」まで、悪質なパピーミルと一緒くたに悪者扱いされてしまうのはおかしい、という指摘だ。
ちゃんとしたブリーダーは、迎える家庭を審査したり、契約書を交わしたり、「もし飼えなくなったら必ず引き取る」っていう約束までしてるところが多いらしい。
ちゃんとしたブリーダーが育てた犬は、そもそもシェルター(保護施設)に来ることがほとんどない、っていう主張も見た。(出典: ShowSight Magazine)
逆側にも同じことが言える。調べてて知ったんだが、保護犬の里親募集の中にも「保護犬ビジネス」と呼ばれるグレーな運用があるらしい。
寄付金という名目で追加料金を取ったり、指定のフードや保険への加入を里親側に義務付けたり。
つまり問題の本質は「保護犬かブリーダーか」じゃなくて、「その繁殖・譲渡のやり方がまともかどうか」なんだと思う。
どっちの選択肢にも、まともなところと、そうじゃないところが両方ある。
どこで迎えたかより、迎えた後の話
うちのベルも血統がはっきりしてる分、拡張型心筋症みたいな遺伝性の病気のリスクも、ある程度は事前に把握した上で迎えられた。
これは結果論じゃなくて、迎える前に自分でちゃんと調べて選んだことだ。
保護犬だったら、そのあたりの見通しは正直立てにくい。
だからと言って保護犬がダメだって話じゃない。
うちはうちの事情でこの選び方をした、それだけの話だ。
というか、その人がどこで犬を迎えようが、正直、自分の知ったことじゃない。
見るべきなのは、迎えた後にその命を最後まで大切にできるかどうか、そこだけだと思ってる。
ちゃんと病院に連れて行くか、最後まで責任を持つか。
迎え方の話より、そっちの方がよっぽど大事だ。
まとめ:みんなはどう思う?
犬をどこで迎えるかは、たぶん正解が一つに決まる話じゃない。命を大事にする覚悟さえあれば、迎え方はその人が決めればいいことだと、俺は思ってる。
みんなは、犬を迎える場所まで他人が口を出すべきだと思う?
ベルの日常はこっちでも見れます → kyokench.com
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